建仁寺 雲龍図 絵師 海北友松(かいほうゆうしょう)作
京都、建仁寺に伝わる『雲龍図』。
絵師 海北友松(かいほうゆうしょう)
狩野永徳などの天才絵師が存在した桃山時代。
そんな中でも、輝きを放った絵師が
海北友松(かいほうゆうしょう)という
絵師です。
海北友松は天文2(1533)年、
近江国(現・滋賀県)の大名・浅井家の重臣、海北善右衛門綱親(かいほうぜんえもんつなちか)の五男としてこの世に生を受けます。
つまり友松は、もともと武士となる運命であったところを、友松が3歳のとき、友松の父と兄は主君の浅井家が戦さに敗れた時に亡くなります。
その後、なんとか難を逃れた友松は、やがて狩野派に師事して絵師となりました。
友松は狩野派に学び始めてから、いくつかの作品を発表しています。
友松の作品は、気迫と力に溢れたものと、繊細なテクニックが光るものの両方があります。
気迫と力を感じる作品は、この写真の建仁寺に伝わる『雲龍図』。
また、一方で、繊細さを持つ桃山時代を象徴する金碧の
『花卉図屛風(かきずびょうぶ)』があります。
建仁寺(京都)
コメント
コメント ( 2 )
トラックバックは利用できません。
すごすぎます。すごく、私は龍に縁があって、私の左肩に白龍のうろこが見えるって言われた事があります。
Pochanさん、初めまして。 しばらくログインしていなかったため大変失礼しました。 この龍の迫力はすごいですよね。 龍の気があると言われたのですね^^