77年前に想いを馳せて
77年前の8月6日の広島上空に
77年前の8月9日の長崎上空に
投下された原爆
そのまま戦争を続けていたら次はどこの都市の上空だったのだろう?
77年前の今日8月15日は玉音放送が流れ、終戦を迎えた。
8月15日は「終戦の日」となって
毎年「戦争とは…」を考える機会になっている。
私は幼少期の頃、身近な祖父母、両親から戦時中の話をよく聴いたものだ。祖父が兵隊に徴収されたこと。肺が悪く戻ってきたこと。表立っては喜べないが、夫、父親が除隊になったことが祖母や父たち家族にはとても嬉しかったこと。商売をしていて奉公人を幾人も抱えていたが、その奉公の若い方が徴兵されるのを見送っていった切なくやりきれない気持ちのこと。
B29という戦闘機が近づいてくる時の音、戦闘機が焼夷弾を積んでくるからその度に防空壕に避難したこと、焼夷弾が落ちてきて辺り一面火の海だったこと。当時商売を営んでいた店舗兼自宅が火に取り囲まられ、祖父と長男だった父(当時9歳)は火を消す為、その場に残り消化活動をする。祖母は父の兄弟を乳母車に乗せて、東へ東へと逃げたこと。振り返ると西の空は真っ赤であったこと。今のように携帯がない時代、安否確認できない不安の中で、再会できたこと。帰る家は焼かれて無くなってしまったこと。毎日の食べることに必死だったこと。戦後、ギブ・ミー・チョコレートというと、子どもたちに板チョコレートをくれたアメリカ軍人のこと。鉄屑などを拾い集めリアカーに積んで持っていくとお金に換えられたこと。育ち盛りなのにお腹いっぱいに食べられなかったこと。農家さんが羨ましかったこと。学校に行ってもお弁当を持って行くほど食べ物がなくてお腹が空いて頭がボーっとしていたこと。お米を食べられるのがとてもとても嬉しく幸せであったこと。
もっともっと話を上げればキリないくらいです。
私自身は戦争を知らない世代、
平和な時代に生まれ育ちました。
祖父母、父母の体験をポツリポツリ聞いた夏を思い出しながら、77年前の戦争に区切りをつけた日に、当時を想像すると、込み上げてくる気持ちを止められなくなります。
込み上げる気持ちを素直に受け止めて
8月6日も8月9日もそうしたように
そして今日8月15日も
慰霊式典に合わせて黙祷をささげます。
#終戦記念日
#空部 #雲もくもく部
#米
#EarthQ #中部SiNQ
コメント
コメント ( 1 )
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りかさん
本日、この投稿を目にいたしました。
昨年の、8月15日ではなく申し訳ない気持ちでいっぱいです。
戦争体験のある母には、よく当時のことを聞く機会がありました。
学徒動員で工場で仕事をしていた時に、グラマンが来襲して機銃掃射があり、跳弾に倒れた兵隊さんの話。
東京大空襲の時、夜の西の空が赤く染まっていた話。
空襲の翌日、空から郵便物のあて名のちぎれた紙が降ってきたこと。
先人の恩恵を受けながら生きていることへの感謝を肝に銘じる時ですね。
遅くなりましたが、ありがとうございます。