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志に至ったストーリー
志に至ったストーリー
突然ですが、
あなたは自分の人生が始まった日は
いつか考えたことありますか。
私は、昭和20年8月9日11:02
長崎原爆の投下時刻で、もちろん私は生まれていない。
当時の両親の年齢が5〜6歳だ。
その日を意識し出したのは、27歳の時に亡くした母親の通夜の時、母親の田舎から来てくれた叔父から聞いた母親と同年代の人が同じ病気で亡くなる人が多いという話しが発端だった。
母の地元に住んだことがなかったので、間接被曝のことは全く意識しておらず非常に驚き、また恐れが自分の奥底に生まれた。
自分の身体が汚れているようにも感じた。
その恐れが吹っ切れたのは、40半ばで出会った2本の映画「うまれる」と「1/4の奇跡」を見てから。
この2本の映画との出会いも奇跡だった。
「うまれる」の監督さんの父親が会社の元上司で「息子がこんな映画を撮ったから観てくれ」と社内のメールで知った。
また、自主上映で観る映画だったが、住んでいた市内で上映の予定があり、直ぐに観ることができた。
「1/4の奇跡」は、大枚はたいて飛び込んだ勉強会に監督の入江ふみ子さんが同期で参加していた。
・人は自ら親を選んで生まれてくること。
・人は皆生まれることに意味があること。
自ら親を選んで生まれてきたのなら、自分が悩んでいることは、自ら選んだこと。
悩むこと自体が馬鹿馬鹿しいとハッキリ思えた。
その後いろいろ知ることが増えて、長崎原爆のもともとの投下目標は小倉だったと知る。
父の地元は小倉の隣町だ。
もし、小倉に落とされていたら、おそらく今の自分は存在しない。
両親の命が紙一重の差でつながり、自分がいる。
その紙一重に感謝した。
強運だと思った。
そして2011年の東日本大震災での原発事故を見て被災地も訪れ、言葉にならないことを感じた。
あえて言葉にするなら、2011年の時に5歳前後の子が大人になり産んだ子供たちが、自分とリンクした感じだ。
その子たちの誰かが自分のように目に見えないことの恐れで悩むかもしれない。
しかし、その恐れは自分のように時間がかかるのではなく、早く乗り越えて欲しい。
その子たちの住む世界は今より少しでもきれいして渡してあげたい。
そして思い出した言葉が、
学生時代に山に登り、国立公園などで目にしていた
「来た時よりきれいにして帰れ」
の標語。
「(自分が生まれて)来た時より(日本を世界を)きれいにして帰れ」たら、
生まれた意味があるのかもということ。
そこで、自分の身の回りから、食や生活用品を見直して、
化学物質などから自然なものへの主役交代を促していきたいと画策中です。
映画「うまれる」
https://www.umareru.jp/
映画「1/4の奇跡」
https://www.yonbunnoichi.net/
コメント
コメント ( 2 )
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素晴らしいと思います
長男が中一位の頃 チョイ反抗で叱ったことがありました
その時に
そんなだったら産まなきゃよかったのに
って言われました
そして私は
あなたが私の所に生まれてきたいって来たんやろ
って言ったら そうだったというかのように だまってしまいました
1日だけの反抗日でした(笑)
それまでも それからも 親子というより 人対人として関係してると思います
良い未来を 子どもたちに遺していきたいです
コメントありがとうございます。
思春期に反抗期はありますが、自分が選んできたことに気がつくと、変わりますね。