十二月八日 今日は…
予めお断りしておきますが
以下は完全に私個人の思いです。
誰かや、何かを批判したり、蔑んだりするものではありませんし、戦争を賛美するものでもありません。
内容に誤りがあるかもしれません、こんな写真をSinQに投稿なんて…ってお怒りになる方もおられるかもしれません…
「想いを繋ぐ」事を、ただただ知って頂きたくて投稿させて頂きますどうかご容赦ください。
削除した方がよければコメント欄にてご指摘ください、投稿削除させて頂きます。
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今日は十二月八日真珠湾攻撃の日です。
1941年から80年の歳月が流れました。
毎年同じ写真をインスタグラムでは八月十五日の終戦の日に毎年投稿させて頂いています。
何故毎年同じ写真を投稿しているのかって理由は
それは、私が一番心に残る、一番素敵な笑顔の写真で、一番悲しい写真だからです。
この写真のタイトルは、
「子犬を抱く少年兵」
色々な所で目にする写真なので、ご存じの方も多いのではないかと思います。
この写真に写っているのは
前列左から、
早川勉 伍長(18歳)、
荒木幸雄 伍長(17歳)、
千田孝正 伍長(18歳)。
後列左から、
高橋要 伍長(18歳)、
高橋峯好 伍長(17歳)。
この五人はみな17歳~18歳。
陸軍特別攻撃隊「第七十二振武隊」の隊員です。
明るくほがらかにふるまう事から〈 朗隊(ほがらかたい) 〉と呼ばれていました。
この笑顔の写真は、出撃予定2時間前の撮影だそうです。
皆10代の若者達、年齢からいけば皆 高校2年生〜3年生の若者です。
現代の同年代の子供達と比べるつもりでPOSTするのではありません。
この年齢の若者達までも将来の祖国の存続と、愛する両親や家族の為に命を捧げたのかと思うといたたまれない気持ちになります。
自分の子供達が彼等の年齢に近いから余計にそんな気持ちが湧いてくるのかもしれません。
今この国が在るのは、このような方々の尊い命の上に有るのだと思っています。
それだけに昨今の国の在り方をみるにつけ悲しくなる事もありますが…。
1945年5月26日、午後4時発進の時を待っていた荒木幸雄伍長は、午後2時頃、自分達の搭乗する飛行機に250㌔爆弾の取り付け作業を見守っていたところ、動き回る一匹の子犬を見つけ、抱きあげました。
この子犬は生後一か月ほどの雑種で、基地の飛行機整備隊長が拾って餌を与えていた野良犬だったそうです。
仲間の少年兵達もやってきて、口々に子犬に声をかけ、その光景を新聞記者が撮影しました。
この日は悪天候の為、飛行は中止となりましたが、翌5月27日早朝、鹿児島県加世田市の「万世飛行場」から沖縄へ出撃、本島南部付近で戦死。記録によると「船種不詳一隻撃沈、船種不詳航行不能に陥れた」
出撃にあたり、遺書を残されておられる方もおられます。
興味のある方は検索してみてください。
その中のおひとりの方( 荒木 幸雄伍長 )の遺書だけ紹介させて頂きます。
◎子犬を抱く荒木幸雄伍長が兄に宛てた遺書。
兄上様、永い間御世話に預かり有難く御礼申し上げます。
何も思い残すことなく死んでゆけます。
只一筋に当たるのみ。
今迄何等恩返しも出来ず申訳ありませんでした。
此度の出動は幸雄の恩返しと思い御喜び下さい。
戦局も益々苛烈を極める今日、十八歳の身にて敵に当たるは当然の事なり。
兄上様にも今年入隊の事と思いますが、
何事も御努力と誠心誠意軍務に勉励されんことを切に祈ります。
御両親様と弟を頼みます。
特に三人の弟には良く御訓育なされ
将来立派な日本人として自分の後に続いてくれる様御願い致します。
九段の花の下でゆっくり会いましょう。
出撃後の「朗隊」ですが、出撃後沖縄本島金武湾の東約50kmで米駆逐艦ブレインに突入、大破させ、荒木幸雄伍長は同日四階級特進の陸軍少尉となった…。
人間が操縦する飛行機での体当たり攻撃は戦果の確認が取れないため、突入時操縦する兵士が通信機のスイッチをONにしたまま突入し、その送信が途絶えた時点で攻撃成功と判断したそうです、途中で撃墜されたか敵艦に体当たりしたかは不明…。
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コメント
コメント ( 2 )
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そうですね。
12.8は語り継ぐべき日の一つですね。決して忘れられてはいけませんよね。
長渕剛のCLOSE YOUR EYESという曲を思い出しました。
ありがとうございます。