「SINQ感想文コンテスト」 投稿:「主体性」
「きっと誰かがやってくれる」「私が少しくらい頑張ったところで大勢に影響はない」
例えばこの7月に予定されている参議院選挙。確かに「私の1票」で何かが変わるわけではないのは理解できます。でもそうやってみんなが同じように考えていたら日本はなくなってしまう。たかが1票だが、されど1票なのです。いきなり政治の話かと思われるかもしれませんが、要は自分が属している単位組織に対する当事者意識があまりに希薄で、主体性が感じられないということは、自分の人生に対するそれも同様なのではないかという問題提起です。
企業に勤めていた頃、よくこの「当事者意識」という言葉を使いました。ほとんどの従業員たちはみんな会社の行き先には興味がなく、他人事です。自分が少しぐらい頑張ったところで、或いはここで意見を言ったところで何も変わらないから何も言わない。そしてその結果、決まったことにも責任を持つつもりもないのです。
最近のウクライナを見ていると、日本は本当に大丈夫なのかとても不安になるのは私だけでしょうか。厳しい決断を先送り、平和を呪文のように唱えることが本当に問題を解決するのでしょうか。自身を守る意識も力もない国を他国が守ってくれると本当に信じているのでしょうか。当事者意識なき個人が集う組織は、どんなに大きくなっても主体性を持ちえないのではないかと思うのです。
さだまさしの唄に「主人公」という唄があります。
「或いは」「もしも」だなんて
あなたは嫌ったけど
時を遡る切符があれば
欲しくなる時がある
あそこの別れ道で選びなおせるならって
勿論 今の私を悲しむつもりはない
確かに自分で選んだ以上精一杯生きる
そうでなきゃ あなたにとても
とてもはずかしいから
あなたは教えてくれた 小さな物語でも
自分の人生の中では 誰もがみな主人公
せめて自分自身の人生については当事者意識を持ち、主体的に感情を支配することを心がけたいものです。そしてみんながそういう意識を持てれば、属する組織、ひいては日本という国も主体性を取り戻せるのではないかと信じます。
コメント
コメント ( 2 )
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大きな組織を動かすというのは大変難しいことです。ましてや国となると自分にはできないし関係ない雲の上の話だと思われる方も多いことでしょう。ただインターネットが普及したこの時代では誰もがメディアとして情報配信できるようになり、大手マスメディアを脅かすほどの大きな力となっています。つまりたった一人の行動でも大きなムーブメントを創り上げることができるようになってきたのです。SiNQを通じて情報配信することの基礎を学び、自分の配信でどのような影響を社会に与えることができるのかを考えていけば、おのずと冒頭に記載されていたような価値観は変わり、社会に対する関わり方が良い方向へシフトしていくのではないかと考えます。
どんなことでも主体的に関わる…そんな個の集合体である組織が作れるといいですね。
SinQもそんなSNSであってほしいなと思います。という思いを込めてこのコンテストがあるんですよね。