あの日、あの時の備忘録
連投、失礼します。
個人的日記のようなものです。
スルーなさってね。
ちょうど11年前のこの日は、
当時お世話になっていた、
東京都調布市の本社での
月例ミーティングに
日帰りのつもりで参加。
同じ部門で働く仲間達が
全国から参加し、
エリア毎の状況確認していた、
そんな時に、
ビルの8階の会議室は
すごい勢いで揺れ、
小学生の頃からの避難訓練で
叩き込められた内容通り、
すかさず机の下に潜り込み。
古いビルだったため、
激しい揺れで
天井や壁は無残にも崩れ落ち、
呆然と立ちすくむメンバーには
落下物がぶつかると危ないため
机の下に潜らせたり。
当時の携帯電話はガラケーで、
情報収集のために
テレビ局のニュースを確認。
唯一視聴できたチャンネルは、
かつて住んでいた地域の河川が
すごい勢いで逆流している映像が
放映されていました。
自分の目を疑いましたが、
仙台でもとんでもないことが
現実に起こっているのだと、
一気に緊張。
すぐにでも
仙台に帰りたがったのですが、
当時の上司の指示で
状況が把握できるまで、
会社近くのホテルでの宿泊を
命じられました。
電話もしばらく不通で、
東北に住む家族や知人友人、
取引先やお客様に、
連絡が取れるようになるまで、
およそ1週間から10日。
誰もが経験したことがない事態。
不安からか、
当時の同僚達には随分と
マイナスなことを言われ、
この人は他人の気持ちを読めず
心無いことを言う人なのだと、
割り切るしかないということも
しばしば。
結局のところ、
3週間ほど帰ることが出来ず、
高速道路一般通行が再開したタイミングで、
高速バスで仙台に戻りました。
しばらくは、
取引先会社やお客様の
お見舞いや状況を確認したり、
茶道の師匠や先輩、仲間達の
お住まいの片付けをお手伝い等
慌ただしい日々。
沿岸部のお住まいの先輩宅は、
津波の影響で建物が海水に浸り
大変な状況に。
床を掃いても掃いても
細かい砂が出てきて、
しかも重油も流れていたため、
水が引いていく度に、
お住まいには重油の黒い線が
残ってしまいます。
内陸と沿岸部の違いを見聞きしては、
かなり胸中は複雑でした。
あれから11年。
当時の会社で
お世話になっていた部署は、
大震災から2年後に
協力会社へ部門丸ごと移動。
そのタイミングで退職を決意。
当時思い描いていた
個人事業主の姿とは、
かなり異なる状況ですが、
紆余曲折ありながらも、
在りたい姿に近づいています。
などと、
こちらでこういう内容を
投稿していることが、
とても不思議な感覚です。
時代は
常に動いているのですね。
写真は、
仙台市内に設置されていた
追悼のお花。
道行く方々が足を止めて、
手を合わせておられました。
コメント
コメント ( 2 )
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決して忘れてはいけない日ですね
中澤さま
ありがとうございます。
沿岸部に住んでいた知人友人達や、
震災後に知り合った方々からのお話を伺うことで、
自分は何ができるのか?を、
ずっと模索してきました。
お茶飲みしながら、
ハンドマッサージをしながら、
ただただお話を伺うだけのこともありました。
寄り添いながら、
できる範囲でサポートできればと願っております。