今朝の富士山
【今朝の一首】-3
月見れば
千々に物こそ
悲しけれ
我が身ひとつの
秋にはあらねど
作:大江千里
(小倉百人一首より)
秋も終わりの
富士山
富士山に関係した話はたくさんあります。
小説にもありますね。
『富嶽百景』
太宰治
富士の頂角、広重(ひろしげ)の富士は八十五度、文晁(ぶんてう)の富士も八十四度くらゐ、けれども、陸軍の実測図によつて東西及南北に断面図を作つてみると、東西縦断は頂角、百二十四度となり、南北は百十七度である。広重、文晁に限らず、たいていの絵の富士は、鋭角である。いただきが、細く、高く、華奢きやしやである。北斎にいたつては、その頂角、ほとんど三十度くらゐ、エッフェル鉄塔のやうな富士をさへ描いてゐる。けれども、実際の富士は、鈍角も鈍角、のろくさと拡がり、東西、百二十四度、南北は百十七度、決して、秀抜の、すらと高い山ではない。たとへば私が、印度インドかどこかの国から、突然、鷲わしにさらはれ、すとんと日本の沼津あたりの海岸に落されて、ふと、この山を見つけても、そんなに驚嘆しないだらう。ニツポンのフジヤマを、あらかじめ憧あこがれてゐるからこそ、ワンダフルなのであつて、さうでなくて、そのやうな俗な宣伝を、一さい知らず、素朴な、純粋の、うつろな心に、果して、どれだけ訴へ得るか、そのことになると、多少、心細い山である。低い。裾のひろがつてゐる割に、低い。あれくらゐの裾を持つてゐる山ならば、少くとも、もう一・五倍、高くなければいけない。
このような書き出しです
富士山に対する見方
太宰治の感じ方も、ひとつですね。
富士山の写真を見ながら、
今朝も百人一首を
口ずさんでみました
百人一首は
声を出して読む事で
理解して記憶に残る
「読書」とは、「書」を「読む」
と言うことです。
音読です。声を出して、耳で聞く
一人で、読むと聞くを演じるということです
実に効率の良い記憶方法ですね。
日本のすばらしい芸術作品
コメント
コメント ( 4 )
トラックバックは利用できません。
おはようございます
今日もよろしくお願いします(^^)/
丸岡さん
おはようございます
日課になりました
今朝一番のご挨拶です
いいですね~(^^)v
やほー